
学生時代、道徳の時間に”命について”勉強する時間がありました。当時は自分も未熟で、物語形式の漠然とした内容をよく理解できませんでした。
命とはなにか
大人になってから改めて考えてみると、命とは個人に宿るものだけではなく、”種そのもの”に宿るものだと思わずにはおれません。
一般的に、物質的な体が無くなると命は消えるとされていますが、実際は種にも命が宿っており、肉体が滅しても命は引き継がれています。
この考え方では、個人の身体はあくまで”入れ物”でしかなく(だからといって粗末にして良いものではありませんが)、その中に入っている”種の設計図”が引き継がれていく限り、命は続き、人(人間)は生き続けている、ともいえると思います。
科学の言葉を使うと、“DNA”が途絶えてしまわない限り種は存続するということです。DNAにこそ、本当の”命”が宿っているのではないかと思います。
これは宗教的概念の言葉を使うと、”魂”と呼ばれるものではないかと私は推測しています。
一方、生物学的には、人が”生きる意味”は明白であり、種を存続させるためです。それが全てであり、そのために最適化された感情、肉体を生まれた時から持っています。
利他や愛の本質とは
この考え方をすると、”利他や愛”という精神がなぜ必要であるかが理解できます。
自分ではない他人や子供を愛し、助けることで、自身の”種としての命を守る”事ができます。
- 個人として自分の命を守り
- 他の同種の命を守る
この2つを、愛と利他の精神を持って行うことで、命は片手落ちではなく、本当に強く強く守られることになります。
生物として、本能的には命を守るために生きているので、その時に”本当に生きる充実感が得られる”はずなのです。
日常に充実感が感じられない時は
何か日常に充実感がないと感じる時は、“利他と愛”の精神が自分に欠けていないか確認してみてください。命が片手落ちになっていないか確認するのです。
もしも、欠けているな、最近は自分のことしか考えていなかったなぁと感じるなら、少しだけ行動してみましょう。
具体的に何をすれば良いかというと、自分の好きな人(個人の命を守ってあげたいと心から思う人)が元気になる言葉や感謝の言葉をかけてあげるだけです。
これだけでも相手の命を助けることになります。(相手に前向きに生きようとするパワー=生命力が湧いてくるからです。)
何か行動するときは、小さく、今の自分にできることから始めるのが吉です。トライアンドエラー、実験してみてください。
小さなことからコツコツと、です。
私自身の経験からも、このような方法で、生きる充実感を取り戻すことができるはずです。