
もはや、私達にとってなくてはならないものになったスマホ。子供たちにスマホとの付き合い方をどう教えるべきでしょうか?
スマホは使わせない!は良くない
・できるだけ持たさない方が良い
・閲覧制限を掛けるべき
・いやいや、積極的に使わせたら良いんじゃないの?
色々意見はあると思いますが、スマホも道具のひとつでしかありません。
煽り運転が話題になっていますが、車も使い方を間違えれば、人を傷つける立派な恐ろしい凶器になります。
ナイフもリンゴを剥いて美味しく食べることもできば、人体に対して使うこともできます。
お金だって人を幸せにすることができる反面、使い方を誤れば周りの人を不幸にし、身を滅ぼす元凶になることもあります。(宝くじ当選や遺産相続などが分かりやすい例でしょうか。)
パワハラのように、言葉も徹底的に人を追い詰めることもできれば、逆にこの上なく人を幸せな気持ちにして励ますこともできます。
なんだって、道具は使い方を間違えれば悪い結果を招きます。
そう考えると、私はスマホだけが特別なものだとは思いません。
どう使うかが問題
スマホを使うことが避けられない時代になっていくなかで、良い悪いではなく、それをどう使うか?を問題にすべきだというのが私の結論です。
全てのモノには、元から良い悪いは存在しません。それをどう使うか?によって良くも悪くもなるのがモノの特性です。
ここまではごく当たり前の話だと思いますが、では、実際に子供たちはスマホをどのように使えば良いでしょうか?
スマホの使い方
親自身がスマホの使い方をきちんと把握していないと教えることはできません。(子供にスマホを一切使わせないという方はそもそも使い方がよくわらない、という方が多い印象があります。)
親が「スマホ=ゲームするもの」という認識であれば、子供にとってもスマホはゲームをするためのものでしかありません。子供はしっかり親の普段の姿を見ているものです。
一方で、きちんとした使い方を教えてあげれば、スマホはかつてないくらい、歴史上最強の勉強道具になります。
スマホが普及する前は、新聞を読め、辞書を引け、と良く親に言われたものです。
スマホがあれば、新聞や辞書の代わりに無限にニュースを調べ、知らない言葉を動画や写真、画像も含めて水平に検索し続けることができます。
さらに、関連するキーワードを調べたり、深めようと思えばいくらでも派生して興味のある範囲を奥深かく勉強することができます。
どこにでも持ち運べて、いつでも最新の情報が無料で取得できる新聞&辞書みたいなものです。
知恵を体得する使い方
もっとカジュアルな使い方の例としては、子供たちと夏にカブトムシを取りに行ったとします。
家でカブトムシを飼うことになった時、YouTubeで検索するとカブトムシの飼い方を紹介する動画が沢山出てきます。
子供たちがそこで学んだことを活かしてカブトムシを実際に飼うことで、子供たちは知識から活きた知恵にする経験を実生活で経験できることになります。これは楽しい経験です。
そうやって何度かスマホの使い方を実践を通して学んでいくと、子供たちは自然とスマホを勉強するため(知らないことを知るため)に使い始めます。
私はこの姿を見て「私たちはなんて豊かな素晴らしい時代に生きているのか」と感動します。
”道具を使う”ということ
これからも新しい便利な機械が沢山生み出されていくと思います。きっと今の私たちには想像も付かないものでしょう。
私たちはその新しい道具の特性をいち早く理解し、うまく使いこなせるように頭を捻り続けなければなりません。
でないと、きっといつか、道具を便利に使うのではなく、私たちが道具に便利に使われるようになってしまうでしょう。(やるべきことをせずにスマホでゲームをし続けるようになると、それはもう道具に大切な人生=時間を使われているのです。)
道具は人間の益になるように使ってこそ存在する意味があります
- 「道具の使い方を考えて、後世に教える。」
私たちが小さい頃、親からナイフを使った鉛筆の削り方を教えてもらったように、いくら新しいテクノロジーが生まれて機械化が進もうと、そこはいつまでも普遍的に人間の仕事であり続けるのだと思います。