
私自身、もともと宮澤賢治の”アメニモマケズ”でいうところの悪い意味での”デクノボー”そのものであり、ボーッとするな!と小学校の頃から先生に怒られることがよくありました。
デクノボー
本来自分が関心とか興味がデフォルトで低いタイプなので、自分の心が本当に動くものはなんなのか色々探って来た結果、恐らく「つくる」という所に人間の根源的な喜びがあるように思います。
わかりやすいのは芸術関係。
他には文章もそうだし、人間関係も「つくる」
— 西野英行『不道徳幸福論』🤫 (@PT50139040) April 19, 2020
恐らく、私は物事への興味関心が元から人よりも薄く、あまり感情が大きく動かされることが少ないのかもしれません。
私は、一つなんでも願い事が叶うとしたら、「1日だけ他人になってみたい」とお願いしようと決めています。これは別に他人が羨ましいとか、お金持ちの生活を体験してみたいとかでは全くなく、ただ単に「他人にはどのように世界が見えているのか知りたいから」です。
私がこうだ、と思っていることが他人からすれば全く違うように認識していたり、下手したら赤だと思っているものが緑に見えているかもしれないのです。
これって、みなに等しく存在する「根源的な不安」だと私は思います。
どれだけ心の目の精度を高めても、永遠に他人と完全にズレているかもしれない‥という不安…。一度だけ他人になれれば、私にも物事への興味関心の普通の度合いというものが分かるかもしれません。
そんな私が唯一、昔から強く興味があると確信したことが「つくる」ことです。
つくるには、「作る、造る、創る」という意味があるそうですが、細かいことは今は問題ではなく、どうでも良いので「つくる」と平仮名で表記します。
子供の頃からプラモデルを作ったり、友達の間で勝手にルールを作って遊ぶことが好きでした。好きというか、自然にそのようなことをしていました。
子供のときに試行回数が多いこと=好きなことと私は定義していますが(大人はみなある種の病気に掛かっており、この法則が通じなくなります。この病気については後述します。)、それでいくと間違いなく私の好きなことは何かをつくることだと言えると思います。
子供は誰に教えられるでもなく、鉛筆を渡せば壁や床、どこにでも絵を書き始めます。
認知症のおばあちゃんも、簡易の砂場(箱に砂が入っているような机の上に置けるサイズ)を目の前に置けば、誰に何も言われなくても砂を触り、何かを作ろうとし始めます。
つくると”生きているここち”がする
なぜ人はつくることに興味があるのでしょうか?
私の見解では「生きているここちがするから」ではないかと思っています。つくるとき、必ずセットでフルに使っているのが五感なんですね。マインドフルネスな状態です。
匂いや手触り、ずっしりとした感じなど、五感を感じている状態は、まさしく自分が生きているという証拠に他なりません。死んでいれば五感を感じることはありませんよね。
砂を手で触った感触とか、筆の感触とかそういったものが人を惹きつけます。この理屈でいくと、つくる「過程」に人は最大の喜びを感じているはずです。
そういった定義であれば、「結果」つまり完成した作品にはあまり興味を示さない人も多いと推測できます。自然とその結果得られる金銭的な報酬にも興味が薄いかもしれません。
つくることで、人は過程に最大の成果、つまり「生きているここち」を得ています。
つくることは大袈裟なことではない
つくるというと、なにか芸術やアート的なものを想像する人が多いかもしれませんが、その本質は五感を使って世界を感じ、生きている心地を取り戻すことにあると思います。
なので、誰かと話し、人間関係をつくることもそうですし、私のように駄文を無料のnoteあたりで書いてみるのも良いと思います。子供と一緒にチョークを買って道路に落書きをしても良いし、おもちゃのプラモデルを作っても良いです。
普段使っていない五感を総動員して、なにかをつくってみること。
そのときに、最大限の報酬(つまり生きているここち)を得るためには、”没頭すること”が恐らく最も重要になるはずです。
簡単にフロー(没頭)状態になるための条件を述べると以下になります。
1、ゴールが明確で進捗がすぐに分かる
自分がどの程度ゴールに向かって進んでいるか、今何をするべきか明確に、瞬時に把握できる。
2、完全に集中している
今していることに集中し、他のどんな情報にも惑わされなくなる。
3、行為と意義が融合する
野球選手であればバットなど、使っている道具と一体化するような感覚を持つ。
4、自己の認識や自己意識を喪失する
没入しているため、他の人の意識や評価が全く気にならなくなる。
5、コントロール感覚がある
行っている行為がコントロールできているという感覚があり、失敗への不安がない。
6、時間が歪む
数分が数時間のように感じたり、逆に一瞬が数分のように感じたりする。
7、活動が自己完結的になる
活動そのものが目的になる。つまり、「したいからしている」状態になる。
実際にフロー(没頭)状態で人は幸福度が高まることが知られています。
⬇️フローと幸福感の関係性について
現代はマルチタスクが当たり前になり、生活にフローが不足しがちです。そんな時代には特に”つくること”を意識してみるとよいと思います。
大人という病
成熟した大人であれば、
道路に子供とチョークで絵なんかて書いても、どうせ雨が降れば消えるし、お金も1円ももらえない。意味がない、アホらしい行為であり、時間の無駄だ。
と思うかもしれません。おっしゃる通りで、それが当然だと思います。
しかし、この考え方はすごく合理的で賢いようにみえて、全くそうではありません。これが私のいう大人という病です。
生きている実感や幸福感を得る以上に最大のリターンを得る活動なんて他にありません。
仮にチョークで落書きする時間を使って、したくもない仕事をして、多少のお金を得たところで、そのお金を何に使うのか?というと、”生きているここち”がするような体験(旅行とか好きな車を買って乗るとか)に使いたいと思うはず、なのです。
これは非常に非効率なように私は感じます。
ぜひなんでも良いので、頭で考えず、気の向くまま、”つくること”に没頭して楽しんでみてください。