”強烈に依存した方が”幸せになれる〜自分軸とは他人軸のこと〜

依存とは、Wikipediaによると「他のものによりかかり、それによって成り立つこと」とあります。この状態は不幸でしょうか、それとも幸せでしょうか?

私は、はっきりと、明確に依存するものが存在する方が幸せであると思います。

何故か?

依存には個性が出る

「依存する」というと世間的にはなぜか悪いように聞こえます。

実際、「依存」からイメージするものは、

  • タバコ
  • お酒
  • 薬物
  • ギャンブル

などネガティブなイメージを持つものばかりです。

しかし、実際は依存するもの(依存先)は悪いものばかりではありません。

私の場合ですと、家族や妻、理学療法士という仕事、会社、ものを書く仕事、全てに依存をしています。

まさしく、これらによりかかり、私という存在が成り立っています。

依存という言葉を使う場合、世間ではイメージが先行し、依存=ネガティブなものに寄り掛かっていると解釈されがちですが、人はだれでも何かに依存して生きています。

例えば私の業界では、リハビリの技術を元に施術業を開業する人がいます。

私からすれば、「正直どれだけリハビリに依存しているのか?」と思うこともあります。

しかし、なぜか世間一般的には立派なこととして捉えられることが多いようです。

リハビリの技術を高めて開業する事は良いことでしょうか?悪いことでしょうか?

実際は、良い事でも悪い事でもありません。

ただ、「開業した」というだけのことです。

そこに良い悪いの判断を加えるのは人の意見であり立場です。

自分が将来開業したい人は開業することをよしとするでしょうし、サラリーマンで安心して幸せに生きている人は開業を悪と捉えるかもしれません。

それだけのことですよね。

依存先があなたの”自分軸”を決める

あなたは一体何に依存して生きているのでしょうか。

必ず人は誰しも、何かに、どこかに依存して生きています。社会的な生活を送るという事はつまりそういうことだからです。

もう一度述べますが、依存の定義とは「他のものに寄りかかり、それによって成り立つこと」です。

あなたは何に寄りかかり、何によってあなたという存在が成り立っていますか?

最近は「自分軸」という言葉がよく聞かれますが、まさしくこの依存先を確認すれば、あなたの”自分軸”がどこにあるかはっきりと分かります。

人は必ず、最も価値を感じているところに強固に依存しています。

私の場合ですと、家族や妻、理学療法士という仕事と会社、ものを書く仕事全てに価値を感じているということです。

依存先は私のように分かりやすいものだけでなく、抽象的なものでも構いません。実態のない頭の中の哲学や思想でも構わないと思います。

あなたは今後、もっともっと、どうしようもなく深く泥沼的に寄生し、依存し、生存するために、依存先を”死に物狂いで”守らなければなりません。

そういった、自己中な死に物狂いの活動に夢中になっているとき、他者から見ると、「彼は自分軸を持ち、一生懸命自分の活動をしている」ということになります。

自分軸=他人軸である

自分軸の軸は、実は、他人軸にあるのです。

あなたの依存先はなんでしょう?

どこにあるのでしょうか?

ここ数年あなたが一生懸命取り組んできたものはなんでしょう?

依存先を活かすために、奮闘しましょう。

そうすればきっと、あなたは”自分軸”で生き、究極のギバー(与える者)となり、他人から感謝され、自己効力感を感じ、幸せに生きることができます。

 

 

これ、ナイショですよ…