二元論

「二元論」という考え方をご存知でしょうか?

物事を二元論で考える癖があると、残念ながら幸福から遠ざかってしまいます。今回は、二元論の考え方から脱却するための方法についてお伝えします。

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二元論とは?

二元論

二元論とは、「二つの異なった原理を立て、それによって(考察範囲の一切を)説明する態度・議論のこと」とされています。

少し聞くと何だか難しそうですが、なんのことはありません。

全ての物事を、

  • 悪い
  • 良い

と、どちらか一方、両極で判断してしまうことだと思ってください。どういうこと?って思われるかもしれません。

男の子

白か黒、良いか悪いかしか存在しなし世界はモノクロの世界。味気ないものです。

「私は悪くない!」は本当?

日々の生活をしていて、嫌な気持ちになることがあると思います。しかし、いくら考えても「私は悪くない!」と思うこともありますよね。相手が悪いからこんな不快な気持ちになった、と思ってしまいます。

 

しかし、本当にそうでしょうか?

前提を疑うことから

誰かに不快な思いになるようなことをされて「私は悪くない」と思った時、本当にそうだろうか?と一旦冷静に考えてみることが大切です。

怒りや不安が強い状態では、感情的な思考や反応をしてしまうもの。まずは、感情的になった気持ちを落ち着かせましょう。

「怒りは6秒程度しか持続しない」と言われています。何かイラっとした時、6秒ほど待ってから改めて考えてみると、また違った気付きがあったりします。

  • 「そもそも、誰が悪いのだろうか?」
  • 「というか、本当に悪い人なんているの?」

「そもそもどうなの?」ということを考えてみること。

それが前提を疑うということで、これこそが大切な考え方です。

前提に二元論がある場合が多い

誰しも、無自覚に「誰が悪い、良い」という二元論で考えることが前提としてある場合が多いです。

学校教育では、「正解、間違い」という概念を教わり、道徳でも「良い、悪い」を教わります。子供の頃に聞かされることが多い「地獄、天国」の概念もそうですね。

しかし、現実では、正解がないことが当たり前です。

  • 人生をこの後どう生きれば良いのか?
  • 何をすればみんなが喜ぶのか?
  • 相手のためにと思ってやっていることが、本当に相手のためになっているのだろうか?

わからないことが沢山あります。というかほとんどの物事がそうではないでしょうか。

でも、少しでも正しいと、自分が思う方を選択し続けるしかありません。

人殺しは悪いことなのか

例えば、悪い行いの代表である「人殺し」は本当に悪いことなのでしょうか?

どこかの宗教では、異教徒を殺してしまうことが正義である、と説かれているかもしれません。その信者にとっては人殺しは悪いことではないかもしれません。

さらに分かりやすいところでは戦争があります。

戦争では、敵国の兵士をたくさん殺せば、それだけ勲章をもらえたり、武勇として国や他者から賞賛されます。

最大の悪事であると思われる人殺しですら、時と場合によって、悪事とは言えないかもしれないとのです。(もちろん、だから人殺しをしても良いということではありません。)

 

つまり、「良い」、「悪い」というのは、誰かが決めていることであり、真実(一定で普遍のもの)ではないのです。

必ず、誰かが「良い」、「悪い」という「基準(モノサシ)」を決めています。しかし、基本的に本来、物事は全て、そこに存在するだけで、良いも悪いもないのです。

 

個人的な対人関係、例えば、上司と部下、夫と妻などの関係性において、怒りを覚えたり、不快な感情が湧き上がった場合、「自分」が「モノサシ(善悪の基準)」を決めています。

  • ミスばっかりしやがって!
  • こんなに頑張っているのに給料が少ない!
  • 時間を守るのが当然だろ!
  • 家事くらいやっておけ!

このような考えでは、日々の何気ない生活の中で幸福を感じることは難しいでしょう。

相手に攻撃的に怒りを向け、結果として自分が大きな損(不幸を経験する)をしています。

二元論をやめよう

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この世の中の全ては、「グラデーション」でできているということを理解しましょう。明らかに相手が悪いと思えることですら、自分にも何か落ち度はないか考えてみることが大切です。

例えば、「政府が悪いから、年金支給額が下がって苦しい思いをしている!」という考え方では、その不満が解消されることは未来永劫ないでしょう。ずっと「怒り」という苦しみを抱き続けなければなりません。

なぜなら、その考え方は「政府が国民を救って当たり前だ」という前提に立った考え方だからです。

しかし、よく考えてみてください。日本政府は75年ほど前の第二次世界大戦期には、戦争で国民に自殺を勧めたり、大量に殺害していました。もちろん、今の政府と昔の政府とは全く違うとは思いますが、果たして、政府や国は、国民を絶対に守ってくれる存在なのでしょうか?

なぜ、政治家や権威を持つ人たちが、自分たちの取り分を減らしてまで、あなたにお金を支給してくれると思うのでしょうか?それが政治家の役割だから?それは誰がそう思っているのでしょうか?

もちろん、真実は明らかではありませんが、年金の支給額に不満があるなら、「いますぐ自分でできる対策」を実行するのが先決です。

具体的には、

  1. 読んでもいない新聞を辞める→月4000円の節約
  2. キャリアの携帯電話をSIMフリーにする→月5000円の節約
  3. 電話回線を使っているなら、代わりにネット回線で電話する(LINEなど)

これだけで、自分が使えるお金がおよそ月1万円程度は増えます。年金を上げろ!といくら言っても変わりませんが、これならば1ヶ月あれば自分の環境を変えることができます。

他人は変えることはできません。諦めてください。でも、自分は頑張れば変えることができます。

本当に自分にできることはないのか?知恵を絞ってみましょう。そうすれば、必ず何か対策ができるものです。

まとめ

「良い、悪い」という判断は、基本的には、他人のモノサシ(基準)に乗っ取った判断であり、自分の人生を生きるためにはあまり良いものではありません。

何事も、一つの基準だけで判断するのではなく、色んな視点から物事を眺められるようにしてみましょう。そうすると、自分を縛っていた不必要な枠から解放され、より自由に行動していけるはずです。

目の前の損得に縛られず、長い目でみて自身の人生を有意義に生きるためには、二元論で考えない視点を持つことが大切です。