受動意識仮説

「やろう!と決意したけど続かなかった」という経験はありませんか?なぜでしょうか?原因は「意思に頼っているから」かもしれません。

質問

ダイエットを決意したけど3日で辞めちゃったよ。

ニシノ

そんなもんですよね。

質問

やろう!と決意してもなんでもすぐに諦めちゃんだよな。続かないというか…

ニシノ

それは”意思で物事を決めているから”ではないでしょうか?

質問

意思で決めないで何で決めるんだよ!また変な事言って…強い意思を持って物事を進めればなんでもできるはず!だよ。

ニシノ

実は、脳科学の分野で受動意識仮説という説があって、”意識は無意識をモニタリングする装置に過ぎない”という説があるんです。つまり、実はあなたを動かしているのは無意識で、意識ははあなたを動かしていないかもしれないんです。

意思の力は弱い

意思とは、「しようとする思い、考え」のことです。

「意思を貫けばなんとかなる!」と思っている人は多いと思います。過去の私もそうでした。

「自分は意思が弱いから、なんでもすぐに挫折してしまうんだ…」と落ち込んだことが、たぶん1000回くらいありますw

みなさんもありませんか?

  • 禁煙・禁酒
  • ダイエット

などなど。

でも、それは当たり前なのかもしれないです。

受動意識仮説

”受動意識仮説”というものがあります。

仮説を提唱しているのは、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科の前野隆司先生です。

前野先生は、

  • ヒューマンインタフェースのデザイン
  • ロボットのデザイン
  • 教育のデザイン
  • 地域社会のデザイン
  • ビジネスのデザイン
  • 価値のデザイン
  • 幸福な人生のデザイン
  • 平和な世界のデザイン

様々なシステムデザイン・マネジメントの研究を行なっておられます。

この仮説によると、意識は「司令塔」ではなく、「観察者」であるとのこと。

その論拠として、カリフォルニア大学サンフランシスコ校のリベット教授が行った実験(1983年の論文で発表)が挙げられています。

この実験では、脳の中で「指を動かせ」という信号が指の筋肉に向けて発せられた時刻と、「心」が「指を動かそうと思った」時刻を比べたところ、脳の中で「指を動かせ」信号が発せられた時刻の方が「0.2秒」早かったそうです。

つまり、脳の中で「指を動かせ」信号が発せられてから「0.2秒」たった後で「心」が、「指を動かそうと思った」ということになります。

 

意識は、体の動きをモニターしているだけで、それを私たちは「自分でそう思った」と勘違いしているのだ、という仮説です。

受動意識仮説

なぜそんな仕組みにする必要があったかというと、人がエピソード記憶をするために、「私がやったんだ」と思い込む必要があったから、とのこと。私という”主体”を作らなければエピソード(物語・事件の大筋の間にはさむ話)が成り立たないから記憶ができないのです。

 

上の動画では、意識がある人間と対照的な存在として、昆虫(カブトムシ)の話が出てきます。カブトムシは光源があればそっちに飛ぶし、餌があったら食べるという無意識下のプログラミングによる世界に生きており、意識は存在しないはず、とのこと。

受動意識仮説によると、人も基本的にこのカブトムシと同じということです。そこにプラスして”意識”というモニタリングシステムが機能しているだけ

自由意志は存在しない、という衝撃的な仮説です。

近代思想の根底にある考え”我思う、ゆえに我あり”を根底から覆すことになります。

 

実は、人は効率よく記憶するために、意識を自ら作り出し、あたかも自分がやっている、考えて行動しているかのように錯覚しているだけ、なのかもしれないということです。

人工知能の構築は、これまで、「司令塔」作りを目指して、失敗してきました。「受動意識仮説」に基づく人工知能の構築は、様々な部分機能を果たす要素の集まりを作り、その個々の機能要素が出力してくるアウトプットをただ単に観測している観測者を作ればいいということになります。

常識を疑う

意識は私たちが思っているように”強い”ものではなく、無意識の方が圧倒的に人に対する影響が強いのかもしれません。

自己啓発系の話や心理学でよく言われますが、「無意識が97%の行動を決めている」というのは本当にそうではないか?と私は常日頃感じています。

この話を通して私が最もお伝えしたかったことは、「今はまだ人類の進化段階で、まだまだ過去の常識が間違っていることもある」ということです。

「意思力で頑張る!」みたいな根性論的な考え方を自然としてしまっている人も多いと思いますが、それこそ、無意識にそう思っているだけのことかもしれません。

果たして、「私が信じている意思というのは信用できるものなのか?」と一度自分の中の常識を疑うことが人生をより良くしていくために非常に大切な考え方だと思います。

私が信じている人生の前提条件ともいえる”常識”は、本当に正しいのだろうか?

自分が無意識にそう思い込んでいるだけではないか?

多くの常識は、私たちが小さい頃から周りに”悪気なく”刷り込まれていますが、決して正しいものだとは限りません。

常識を疑うという知的な問いから、本当に自分の頭で一から考える人生が始まり、自分らしく、より良く生きる(well-being)土台ができるのではないでしょうか。

参考:これからの時代に大注目の「ウェルビーイング(well-being)」の意味とは

 

最後に、常識破りの芸術家、岡本太郎氏の名言をご紹介します。

人生は積み重ねだと誰でも思っているようだ。ぼくは逆に、積み減らすべきだと思う。

財産も知識も、蓄えれば蓄えるほどかえって人間は自在さを失ってしまう。

過去の蓄積にこだわると、いつの間にか堆積物に埋もれて身動きが出来なくなる。

人生に挑み、本当に生きるには、瞬間瞬間に新しく生まれ変わって運命をひらくのだ。

それは心身とも無一物、無条件でなければならない。

捨てれば捨てるほど、いのちは分厚く、純粋にふくらんでくる。 
今までの自分なんか、蹴とばしてやる、そのつもりでちょうどいい。