
コップに半分の水があるときに、
- まだ半分もある
と思える人と、
- もう半分しかない
と思える人では、人生の幸福度が桁違いに違います。
体の状態だけでは幸福度は分からない
私は本職のリハビリで、膝が痛い方や身体に障害がある方と毎日接しています。
ある方は、
膝が痛いからもう出歩けない…。どこにも行けない。
と言い、別の方は、
膝が痛くても、色んな人に助けてもらいながら何とか生活できるし、ときどき孫も家に遊びに来てくれる。膝が痛くても足が無くなった訳ではないし、まだ歩けるだけありがたいと心から思って毎日感謝しているんですよ。
と言います。
言うまでもなく、後者の方の方がリハビリの効果が出やすく、すぐに実際に痛みが少なくなり、より長距離を歩けるようになります。
”膝が痛い”という体の症状はほぼ同じでも、この2人ではその後に歩む人生が全く異なります。
「自分に良い方を選択することができる人」は幸せになれる
最近、新型コロナウィルスの影響で、トイレットペーパーが飛ぶように売れ、どこの店でも品薄になりました。
家にトイレットペーパーが10個ストックしてあってもまだ足りないと思い、朝早くからドラッグストアに並び、イライラしながら開店を待つ人と、同じようにトイレットペーパーが家に10個あって、もし無くなっても何かで代用すれば別に困らないな…と考えている人は、どちらが幸せに生きることができるでしょうか?
私は、確実に後者の方が幸せに生きられる可能性が高いと思います。
事実はいつでも1つしかありませんが、それをどう解釈するかは人によって全く異なります。
できれば、マイナスの方にもプラスの方にも、どちらの解釈もできるようになり、その都度自分に必要な方を選択できる人になる方が確実に幸福度高く生きることができます。
最近ネットニュースで見た話では、超未熟児で赤ちゃんを出産した母親と姑のエピソードがすごく素敵でした。
姑が初めて赤ちゃんを見に来たとき、
この子はすごくキレイな手をしているね!こんな綺麗な手をしている赤ちゃんは初めてみたわ!
と褒めてくれたそうです。
体は信じられないくらい小さく、人工呼吸器を付けているような状態だったそうですが、姑はそのことには一切触れず、赤ちゃんの良いところを即座に見つけ、褒めたそうです。
また、別のお話では、その子が成長して大きくなって、幼稚園でかけっこをしたときに1番最後になってしまったそうです。そのあと、姑が家に来たときにその話を子供から聞き、順位については一切触れず、
最後まで走り切ったの?
と笑顔で聞き、
うん。
と子供が答えると、
それはすごく偉かったわね!
と褒めたそうです。
この姑さんは、おそらく今までの人生でたくさん辛い経験をしてきたのではないかと私は推測します。
見たくないような事実や辛い事があっても、本当に些細な良いことや幸せを見つけることができるように、たくさん努力してきたのではないかと思います。
この努力をひたすら続けていると、まるで職人の技のごとく”息を吸うように”自然に幸せを見つけることができるようになるはずです。
いつ、いかなるときも良いところを見つけ、自分や周りの人を幸せにするという選択をすることができます。
私はこの素敵な嫁と姑の記事をネットで見つけ、
年の功とはまさしくこのことだ!
と思いました。私もそのような高齢者になりたいと心から思います。
憧れの存在です。
物事には必ず裏表があり、良いことも悪いことも同時に存在しています。まずは、この事実を疑いのないくらいに信じることで、良いことを見つけようとする”心の基本姿勢”が身につきます。
今回のコロナウィルスのパンデミックのように、身の周りに起こる出来事は自身で操作できません。
しかし、その出来事をどのように捉えるかは自身で訓練し、操作することができるようになります。
- 物事のどこに意識を集中させるのか?
個人の人生において、それが幸せか不幸かを分ける大きな分岐点になります。
これ、ないしょですよ…