在り方は選択できる

2020年の今、コロナショックで街中にイライラした人が増えてきている印象があります。そりゃそうですよね、収入も減るかもしれないし、下手したら仕事がなくなるかもしれない…


家のローンもあるし、子供たちもずっと家にいる。

妻は買い物に行くとスーパーに並ばないといけないし、人が密集したところに行くとコロナに感染してしまうかもしれない。本当に考えなければならないことが多く、不安もたくさんあります。

家庭だけでなく、会社で管理職についている方は会社の対応をどうするか、従業員をどうやって守るかそういった事まで考えないといけない。

夜と霧

考えられる限りの最悪の状況でも、人間は自身の在り方を選択することができる。それが人間に残された最後の選択肢だ。この権利は誰にも奪われない。

これはアウシュビッツの強制収容所で収容された経験を持つ作者(フランクル)が書いた「夜と霧」という本の中で出てくる言葉です。

この本の作者はユダヤ人の敬虔なクリスチャンです。(クリスチャン=キリスト教信者)

彼は、強制収容所アウシュビッツに収容され、持ち物を全て奪われ、体罰を受けながら、ひどい体験をしているときにその意味をキリスト(神)に祈り、問い続けたそうです。

しかし、何度祈っても神は一向に答えてはくれません。

あるとき、彼は気づきます。

神は私の人生に何も意味を求めていない。人生と体験に意味を見つけるのは”自分自身”なのだ。神が求めているのはその一点だけなのだ。

「あなたはこの人生で何を成し遂げるのか、どんな状況でどんな在り方を選択するのか」。

それだけが唯一の大きな”私の問題”なのだ。

コロナショックでイライラする人がたくさんいる中、一方で、精一杯自分の周りの人を助けようと奮闘している人たちを私は実際に知っています。

人は様々、いろんな環境で、いろんな条件で生きています。もちろん自分ではコントロールできないこともたくさんあります。今回のコロナショックも、始まった頃にはここまでの騒ぎになるとは思いもしませんでした。

しかし、最悪の状況でも、人間には自身の在り方が選択できるという「自由」が常に残されています。

みんなが苦しいとき、あなたは人の痛みに共感し、助けようとする尊い人となるのか、それとも何もしない人になるのか、いつでも自由に選択することができます。

もちろん、いろんな条件がありますし、あなたの周りの環境は良くないかもしれません。私にはできない、仕方がないと言ってしまえばそれまでです。誰に責められることもありませんし、当たり前のことです。

しかし、何度も言いますが、自分の在り方だけは絶対に選ぶことができるのです。

これは、コロナショックよりも相当ひどい環境である、アウシュビッツ強制収容所に収容されていた人が命を賭けて見つけた人類の大発見です。

これはチャンスでもあります。

あなたは、こんな時だからこそ、困っている人を助ける”在り方”を選択することができます。

普段ならこんなに”在り方”が問われる時はありません。

冒頭に述べたように、コロナショックには色々な問題がありますが、「自分がどんな在り方を選択するか」それが1番の問題なのです。

本当に小さなことで良いと思います。

池に小石を投げ込んだときのように、小さな波紋が周囲の人に大きく広がっていく現象を、私はこれまで何度も見てきました。

たとえあなたや私が大きなことはできなくても、あなたや私の小さな行動がきっかけで誰かが何かを成し遂げるかもしれないのです。

まとめ

いつでも、どんなときでも、外部の環境や他人は関係ありません。あなたは自由に自分の在り方を選ぶことができます。

「あなたにできることはなんですか?」

それだけが今、問われています。

「あなたは何を選択し、何を信じますか?」

実は今、それが最も重要なことです。

 

 

これ、ないしょですよ。。