
実は人生を”自分らしく生きる”にあたって「諦めること」ってめっちゃ大切です。諦めることが世間的にあまり良いものと思われていないようなので、その大切さを解説します。
仏教の言葉で、「諦観(ていかん)」というものがあります。
この言葉の意味は、世間一般の諦めるという意味ではなく「無用な執着を捨て、物事の本質を見極めること」という意味です。
諦めることとは、まさしくこの通りだと思います。
挑戦・チャレンジが推奨される社会
先行きがますます不透明となる時代、チャレンジ、挑戦することでしか成功はない、という論調が強くなっていますが、その通りだと思う反面、何でもかんでも挑戦することはあまり得策ではありません。
自分の人生は有限で、さらに、その中でも自由に使える時間はもっと貴重で有限です。
自分の武器を見極めた上で挑戦する場所をある程度絞ることが大切であり、その際に上述の「諦観:ていかん」の概念が重要になります。
私の周りでも、色々な人がいますが、物事を突き詰める人は必ず、「諦める」ということを自然に受け入れています。
私たちは、なにかを手に入れるためには、何かを捨てなければなりません。
コミットすることを見つけたら、まずはなにかを諦め、捨てることが最も重要で、真っ先にすべきことなのだと思います。
成功やコミットすることばかりに注目しがちですが、余計なことを捨てることができなければ成功は難しいです。
物事の順序はいつでも逆
この前、私は「哲学カフェ」という集まりに参加してきました。そこでは仏教用語を理解することで哲学を学びました。仏教用語で重要な言葉は全て、一般的には逆に理解されていることに驚きました。
- 因縁=因(行いの結果)と縁(人との出会い)
という意味なのですが、世間では「因縁を付けられた」などとあまり良くない使い方をします。
仏教では良い悪いと決めつけず、ただ因縁という考え方がある、ということで理解するそうなのですが、「ただ事実を事実として認識する」ことはすごく難しいことなのです。
このように、物事はいつでも逆に考えると意外と真理に近づけるように思います。
つまり、何かを得たいなら、まずはごっそりと何かを捨てる必要があるということです。
自分にとって不必要なものを捨てていく。
だからこそ、残った本当に重要なことにのみ集中できるし、覚悟も決まるのではないでしょうか。
ホリエモンさんやキンコン西野さんなども、テレビに出ることをそこそこにして(諦めて)、インターネットの世界に集中したからこそ、今の人気があるのではないかと思います。
人生の時間は有限です。どこに集中するのか?はすごく大切です。
あれもことも自分の可能性を信じたい気持ちは分かりますが、実際は、一人の個人ができることはたかが知れており、どこを他の人よりも尖らせるかかが重要になります。
その際には、やらないことをを決めたり、いらない出来事を自分の周りから削いでいくと勝手に尖ってくる、というイメージが正しいのではないでしょうか。
夢を掴むために「挑戦して諦めるを繰り返す時期」が必要
しかし、自分の本当にやりたいことはなんなのか?分からないのが普通です。
「自分に何が向いていて、何ができないのか?」これが分かるように学校などで小さいうちに教えておくのが理想ですが、現実はそうではありません。
なので、多くの人は大人になってから、社会人になってから模索を始めます。
挑戦している姿は美しいのでたくさん宣伝されますが、何かを諦めたことはあまり語られないものです。
- 挑戦
- 失敗
- 諦める
ということを繰り返した先に残ったものが、あなたが本当にやりたことであり、最大のパフォーマンスが発揮できるものだと思います。
あんなことやってみたけどダメだった、これもやったけどダメだった、これこそはと思って全力でやってみたけどボロクソに負けた。
諦めて失望して、結果的に残ったガラクタみたいなやつがあなたの、あなただけのオリジナルの個性。
— 西野英行『不道徳幸福論』🤫 (@PT50139040) May 16, 2020